お~ぷん東亜(´・ω・`)政経まとめ

主に特亜に絡むニュースをまとめています。

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    1: 6564億円◆o8vqQW81IE 2015/05/27(水)22:24:17 ID:???
    「二十二名の私たちが、自分の手で生命を断ちますこと、軍医部長はじめ婦長にもさぞかしご迷惑のことと、深くお詫びを申し上げます。私たちは、敗れたとはいえ、かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます。たとえ生命はなくなりましても、私どもの魂は永久に満州の地に止まり、日本が再びこの地に帰ってくる時、ご案内を いたします。その意味からも、私どものなきがらは、土葬にして、この満州の土にし てください。」

    たとえ生命はなくなりましても、私どもの魂は永久に満州の地に止まり、日本が再びこの地に帰ってくる時、ご案内をいたします。

    のっけから、たいへん重たい手紙ですが、これは満州で集団自決した看護婦の乙女 たちの遺書です。
    二度と乙女たちに、冒頭のような悲惨な遺書は書かせない。
    安全保障に関する議論がさかんですが、これこそが、あるべき国民の決意というべき ものであろうと思います。

    この遺書は、昭和21(1946)年6月20日、つまり終戦後に書かれたものです。
    事件の詳細については、拙ブログ記事「祖国遙か」(http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1653.html)に詳しく書いていますので、そちらを御覧ください。
    長文ですが、実話です。
    まだお読みでない方は、是非一度目を通していただければと思います。(つづく)

    ◎全文は下記からどうぞ(・ω・)ノ
    ねずさんのひとりごと 5月26日付け
    http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2648.html#more

    【【ねずさんのひとりごと】満州国は、五族の暮らす土地でしたけれど、満州が満州国であった時代は、日本と同じく、家に鍵をかける必要もないほど、安全に暮らせる国だった。 [H27/5/27]】の続きを読む

    “真実ゆう子”さんのブログ

    URL=
    http://xianxian8181.blog73.fc2.com/blog-entry-122.html

    「ねぇ知ってたぁ?」さま

    より引用させて頂きました。

    ありがとうございました
    (*_ _)人


    <記事引用>---------------------------

    いよいよ 投稿者: スヒョン 投稿日:2007年 7月30日(月)04時32分31秒   

    計画通り民主党が参院選で過半数を獲得。
    いよいよ始まりますね。自民党独裁弾圧政治の終わりの始まり。
    我々虐げられてきた在日同胞の権利拡大の始まり。
    最近はネットのおかげで90年代以前なら使えたネタが通じにくいですが民主党さんにはがんばってもらいましょう。

    まず短期的には在日同胞のお年寄りへの年金支給実現が急務です。
    生活保護だけでは本当に最低限の生活しか補償できないのが現実です。
    差別と弾圧の苦難の時代を乗り越え、我々三世四世が暮らせる基礎を気づき揚げてきたアボジたちに、豊かな老後生活を提供しなければならないですね。
    多くの日本人同様に税金をしっかり払ってきたわけだし、これまでの差別の歴史を考えてみたら我々にも年金をもらう資格はあるし日本政府にもその責任があります。
    在日同胞への年金支給がいちばんの優先です。
    その次は地方参政権獲得へと山を作っていきましょう。
    各地のコリアンタウンを基点に、組織的に民主党議員を支援していく体制はすでに整っていますが、足りないものがあれば、各支部ごとにまとめて本部に頼んでください。民主党の中での雰囲気醸成や意見の舵取りなどは、同胞議員の先生たちがきちんと動いてくれる予定ですから心配ありません。
    また北韓同胞との連携も必要になってきますので、支部長レベルでの会合等調整をお願いします。
    【【2007年スヒョン文書】驚愕!!在日コリアンたちの本音【引用記事】】の続きを読む

    1: 6564億円◆o8vqQW81IE 2015/05/05(火)21:01:35 ID:???
    二二六事件(昭和11(1936)年2月26日)が起きたとき、青年将校たちによって国会議事堂が占拠されたことは、皆様御存知のことと思います。
    ところがこのときの国会議事堂は、建物はいまの国会議事堂ですけれども、まだ未完成の建物でした。
    ですから当時は、国会議事堂ではなくて、「国会仮議事堂」と呼ばれていました。

    いまの国会議事堂の建設が始まったのが大正9(1920)年1月30日のことです。
    完成したのが、冒頭の二二六事件の後の昭和11(1936)年11月7日のことです。
    なんと着工から16年11ヶ月という、ありえないほどの長期間を経て、ようやくいまの国会議事堂が完成しています。
    国権の最高府である国会議事堂が、完成までにどうしてそのように長い年月がかかったのでしょうか。
    また日本では、明治時代から国会が開催されていたはずですが、その国会は、いったいどこでやっていたのでしょうか。

    歴史をたどってみますと、まずはじめに明治天皇から国会開設の詔(みことのり)が発せられたのが、明治14(1881)年10月のことです。
    そして最初の議会(第一回帝国議会)は、明治23(1890)年11月29日に開催されました。
    つまり、いまの国会議事堂ができあがるよりも46年も前から国会は開催されていたわけです。
    その第一回の帝国議会は、いま経済産業省がある千代田区霞が関一丁目で行われました。
    木造の「第一次仮議事堂」が建てられ、そこで開催されたのです。

    (中略)

    【【 ねずさんのひとりごと】着工から17年という長期間を経て、ようやくいまの国会議事堂が完成…、その理由 。~おまけ「朝鮮総督府の「路上脱糞禁止令」と「キムチ」 の関係】の続きを読む

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